• 2021.2.15
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江戸川を歩いて

京成線国府台駅より歩いて数分、江戸川土手の市川関所跡からスタートです。海側を背に上流に向かって歩くとすぐ京成線の陸橋にさしかかります。電車の通り過ぎる音が、グァワーン、グォーンとあたりの静けさを跳ねのける轟音です。橋の下ではそんな響きもも慣れっこのように、川面を数羽の鳥たちがのんびりとたたずんでいました。

10数分ほどで江戸川に面した台地上の里見公園、古よりこの辺りは国府台と呼ばれていたそうで、城跡や古墳などが残されています。ひときわ大きなケヤキが目に留まりました。ケヤキは武蔵野のシンボル的な木ですが、千葉県でも結構あちらこちらで見られますね。川沿いからこの公園はほど良い散策コースの様です。曇天の今日は、スカイツリーくらいしか見えませんが、案内板を見ると視界の良い時は、遠く南アルプス悪沢岳も望めるようです。

土手脇の広場に数張りのテント、食事の準備をしているようです。昨夜もテントで過ごしたのでしょうか。対岸の東京方面の夜景を見ながらのテント泊、なかなか良さげですね。

北総線をくぐります。この後も常磐線、つくばエキスプレス、武蔵野線など、鉄道路線のオンパレードになります。

河川敷にはゴルフ場もあり、遠くから見ているとゴルファーの動きの重なりが、ミニチュアの世界のようで、どこかユーモラス。

改修工事中ですが、江戸川では一番人気?の矢切の渡し。伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の舞台になり、その文学碑もこの近くにあるようです。
現在残っている江戸川の渡し船はここだけですが、この流域には他にも何カ所か渡し舟跡がありました。主に農民が耕作するために関所を通らずに、牛や馬などと対岸を行き来していたようです。中には新選組にまつわる由縁の渡し跡も。ただ現在は立派な堤防、土手で整備され、当時の面影を偲ぶのはちょっと難しいですね。

広々とした江戸川周辺、住宅地の近くでは散策する人や、野草を採る人の姿もありますが、少し離れると人影はは全く見られなくなります。常磐線を超え市川市から松戸市に入ります。

赤い消防車両が目に飛び込んで来ました。近くの案内板を見ると、ここは「緊急船着き場」、大地震などの災害時、復旧物資や生活物資を輸送する水上ネットワークとして整備されているようです。点検等日ごろから実施しているのですね。やや東方向に向かっていた流れが、ここで大きく曲がり、再び北方向へ。束の間、薄日がさしました。川の様相も随分変化してきました。大きな中洲ができています。生きた地理の教科書ですね。殺風景な景色が続く中、そっと菜の花が彩りを添えてくれます。大きなクレーンの林立が現れました。物流施設の建設のようです。こちらは土台作り?と思ったら、「土砂を改良機で混ぜて活用できる土を造る工事」との事、色々な作業があるのですね。こちらの企業様のご厚意で、「ご自由にご利用ください」と、簡易休憩所が設置されていました。他にも細やかな配慮があり、心ほっこり。

運河河口公園に着きました。ここで江戸川とはお別れ、利根川へ通じる利根運河に向かいます。この運河、明治から大正と50年間ほど船運が盛んだったようです。

♫ホテルはリバーサ〜イ 陽水さんはここでこの曲を作った?んなわけないでしょう〜気分転換に手前に見える小さな橋を渡って反対側に行きましょう。水面が近いですね。そして、東武アーバンパークラインです。すぐ近くにその名もズバリ「運河」という駅があります。東京理科大野田キャンパス、人影が小さく見えます。この辺り、土手がとてつもなく高い!圧巻です。よく整備されている公園を抜け、利根川を目指してさらに歩きます。途中、橋の上から歩いてきた方を見ると、う~ん、かなり寂寥感が漂っていますね。そうこうしていると、あっ、大きな水門が見えてきました。ということは、やったーやっと利根川です。だっだ広い風景、橋の向こうは茨城県守谷市になります。さぁお家に帰りましょうか。

と、ここで重要なことに気がつきました。利根川に来ることばかりに夢中になり、帰り方を全く考えていませんでした。さ〜て、どうしましょう、、、

最終バスを逃した後の 林道歩きのような 切なさがーーー

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