冠雪 日光三山

10月中旬の予想外の寒波。影響の少なそうな山域を選び、志津乗越をベースに男体山(100名山)・女峰山(200名山)・太郎山(300名山)の独立峰三山へ――。

10/22 梵字飯場跡~男体山~志津避難小屋

落葉松の紅葉が終わった林道は既に初冬の風景。1時間半ほどで森の中に佇む丸太造りの志津避難小屋に到着する。午後から降雪予報のため、荷物をデポしてまずは男体山へ。

霜柱の立ったダケカンバと針葉樹の混淆林を行く。2000mを越える辺りから地面は雪に。東側斜面の崩壊地まで突き上げるとようやく展望が開けた。山頂が近い。8合目手前の崖は、雪は飛んでいるものの北側斜面のためまだカチカチ。スリップしないよう慎重に進む。昨2月の研修で強風のなか四つん這いで通過した雪のリッジは、恐らくこの上部だったのだろう。

8合目から先は傾斜・凍結とも緩み、山頂に出ると一転、表登山口からの人たちで賑わっていた。山頂標識の奥には天を衝く神剣。翌日・翌々日に登る大真名子~女峰山、太郎山の威風堂々の山並みを一望して往路を下る。小屋に着く直前、一気に雪が降り始めた。

10/23 大真名子山・小真名子山・帝釈山~女峰山

無雪期のコースタイム10時間超、日照は11時間。雪路だがどうか。一抹の不安を抱えつつ、6時、夜明けとともに出発。大真名子山までは「直登」という言葉そのものの急傾斜が延々続く。日光三険の難所の一つ「千鳥返し」の鎖場と梯子を越え、山頂へ。小真名子山へは一旦265mを下る。北側斜面で積雪量もあり、軽アイゼンを装着した。進むも地獄退くも地獄の心境。

再び直登で210mを登り返し小真名子山頂に立つと、今度は富士見峠まで300m弱の長い下り。山地図の「危」箇所でもあり、浮石とスリップに用心しながら慎重に下る。その後もロープの張られた岩場の急下降が続いた。

強風に加え、雪が降り込めてきた。富士見峠から帝釈山までは420mを登り返し、さらに女峰山までは日光三険「馬の背渡り」もある。富士見峠で撤退を決め、志津へ向かうルートを歩き始めた。・・・が。既に1時間タイムを縮めており、帝釈山まで登り天候とルート状況を見てから撤退するだけの時間がある。下ってきた路を引き返し、予定通り進んでみることに。

帝釈山までは大真名子・小真名子ほど急登がなく、意外に標高差を苦にせず登れた。樹林帯が切れる帝釈山山頂から先、専女山・女峰山へのヤセ尾根・岩稜帯を行く40分間は、強風と積雪で三点支持を欠かせなかった。

山頂を抜けるとすぐに前女峰への樹林帯。緊張が解れる。水場のパイプは凍結していたが、湧き水から少量ずつ取水。今晩以降の水を確保できて一安心。

標高2000mを切った辺りから雪どけした路に。天気も回復し、男体山を仰ぎながら笹原の路を気持ちよく下る。15時過ぎ、無事小屋に到着。前日に続き、ルート上では誰にも行き合わなかった。

10/24 志津避難小屋~太郎山~梵字飯場跡

待ちに待った晴天。新薙登山口への林道分岐にテントを張り、乾かしがてら荷物をデポ。登山口からはダケカンバとシャクナゲの明るい林を進む。

三山で一番好みだなぁと思ったのも束の間、凍結した岩場の急登に。日光三険「新薙ガレ場」のトラバースよりもずっと、下りが気がかりで緊張を強いられた。

火口原を横切り、再び樹林帯に入る。ひと登りで山頂へ。

南側が広く展けた山頂からは、中禅寺湖の奥に富士山も見晴らせる。「中禅寺湖と男体山という取り合わせほど過不足なく、彼我助け合って秀麗雄大な景色を形作っている例も稀である」――そう著した深田久弥が目にした以上の景色を今見ていると思った。

往路を下山し、テントと荷物を回収して林道を下り、駐車場へ。下山後、駐車場から溢れた車が列をなす三本松で、観光客に混ざって三山を眺めた。

A

関連記事

コメントは利用できません。
ページ上部へ戻る